POESY IN MY POCKET

Poesy In My Pocket #1 宮崎信恵

2024.03.31

四年半暮らした徳島を離れ、名古屋に引っ越したのは2019年の夏だった。大学時代や徳島に住む前にも名古屋に住んでいたから、住み慣れた街に戻ってきた、という感じだった。
都会で暮らすようになり、自分は今まで間近にある自然が作り出すものにずっと心を動かされ続けていたんだな、ということに改めて気付かされた。日常の景色に圧倒されたり、美しさに感情が掻き立てられたり、身の回りに蠢く無数の命の存在や、夜の漆黒の闇、風で揺れる木々の葉っぱの擦れる音、狂ったように囀る鳥たちなど、徳島での暮らしは、時に暴力的な自然の力強い生命力に振り回されながらも、自分たちも必死で生きている、という実感があった。また、五歳から九歳半までの娘との二人の生活は、もちろん大変ではあったけど、その純粋な子どもの感性に心震わされる日々でもあった。

春の嵐が吹く日、家から車で二十分ほどの駅前で用事を済ませるために出かけた。一人で出かけるのは久しぶりで、いつもは息子とつないでいるはずの車道と反対側の手が空いていて少し調子が狂う。そう思ったのも一瞬で、すぐに寒さから逃げるように拳を上着のポケットにしまいこんだ。桜が咲き始めていて、春だなぁと思う。桜を見ると、息子を出産後、退院して家に帰る道中に見た桜を思い出す。

産院までは家から車で一時間かけて通っていた。夫が運転免許を持っていないので、近くに住む姉が毎回送り迎えをしてくれてとてもありがたかった。いよいよ産気づいたときは家族で車に乗り込み、姉の運転で夜中のガラガラに空いた高速道路を疾走した。道路の継ぎ目の段差を通るたびに赤ちゃんが出てくるんじゃないかと思ったけど、結局到着してもすぐには産まれず、産院の和室の入院部屋で四人で雑魚寝をして朝を迎えた。私は全然眠れなかったのだが、小学四年生だった娘は真ん中でいびきをかいて爆睡していた。コロナ禍にも関わらず、家族に見守られながら昼前に無事に息子が誕生した。
入院するときには桜はまだほとんど咲いていなかったけど、帰る頃には色んなところで満開で、春が祝福してくれているようで嬉しかった。

赤ちゃんだった息子も三歳になり、これから幼稚園に通い始める。息子とみっちり過ごした三年間は、振り返れば短いのだが、途方もなく果てしない時間だった。何かを作ることでストレスを発散していた自分だったのだが、ついに疲れ切って何もできなくなり、とうとう作ることをやめてしまった。小さな子どものいる生活は、幸せな日々ではあったのだが、焦ったり、苛立ったり、投げ槍な気持ちになることも多かった。
これからはまた私の時間が少しできるから、自分のペースで少しずつ取り戻していけたらいいなと思っている。

嵐の後は雨が続いた。久しぶりに晴れた日、春の陽気が漂う街を自転車で駆け抜けた。前の暮らしには存在しなかった、小さな重みを後ろに感じながら。