POESY IN MY POCKET

Poesy In My Pocket #2 宮崎信恵

2024.04.15

フロントガラスに小さく硬い虫がぶつかり、薄黄色や赤っぽい透明な液体が飛び散る。山にはもこもことしたピンクと深い緑、新緑の明るい緑、まだ葉が落ちたままの寒々とした裸木とが混在している。この時期の木々は何となく花咲か爺さんを思い出させる。高速道路で名古屋ー徳島間を走るのはもう何度目かわからないけど、名古屋から向かって明石海峡大橋を渡り、淡路島から徳島の山と海のある景色を走るのが好きだ。これまでの退屈な道と違って、すべてが深く包み込まれるようで壮観だ。
名古屋編が始まったばかりだが、春休みで徳島に帰省していたので、もう少し徳島のことを書きたいと思う。
(
以前に書いた徳島編の『土の上』はトーチwebで読むことができます)

徳島へは娘が長い休みに入るたびに帰っている。引っ越してから家はそのままにしてあるのだが、普段は実家の父が私の家の庭で野菜を育てながら、家の管理もしてくれている。父は体力があることをよく自慢気に話していたが、この数年でだいぶ衰えを感じるようになった。それで私もなるべくこまめに帰って掃除をしたり、草取りをしなくては、と思っている。実際は、小さな息子がいるとなかなか作業が進まず、五日間ほどの滞在では大したことはできないのだが。
帰ってくると、まずは実家に寄ってから車で五分くらいの自分の家に向かう。そして荷物を運んで、簡単に掃除をする。コロナ禍で二年ほど帰省できなかった時は掃除がかなり大変だったけど、近頃は汚れが溜まる前に帰って来れていると思う。やっぱり家は人が住んでいないとだめなのだなぁと思う。
この家は父がほぼ一人で手作りした家で、私もここに住んでいた時は常に何かを作っているような生活だった。あちこちにある制作物を見ると、そうした日々を思い出して懐かしくなったり、またいつかそういう生活ができたらいいなと思う。
帰省のたびに娘は友達と集まるのを楽しみにしている。とても小さかった少女たちは昔から賑やかで、今では中学生になった彼女たちの笑い声がドアの向こうから時折溢れてくる。私も友人たちに会って話すのが何より楽しみだ。徳島には一人も知り合いがいなかったけど、たくさんの友人に恵まれ、離れている今でも親しい関係が続いていることを嬉しく思う。

名古屋への帰り道、高速道路に入ると急に寂しくなる。大学に入る時に実家を出てから、親と離れる時は大体いつもそうなのだが、最近は親の老いを感じて余計に寂しくなってしまう。父とは時々ぶつかり合うこともあるけど、やはりいつまでも元気でいてほしいと願う。
淡路島を抜けて明石海峡大橋から神戸を望むと、ぎっちりと建物が建て込んでいて今までの景色との対比が面白い。自分の中では、昔NHKで放送されていた『フルハウス』のオープニングのゴールデンゲートブリッジを走っている気分でいるのだが、わかってくれる人がいるだろうか。そうしてサンフランシスコ入りした頃には、寂しい気持ちは息子の騒ぐ声でかき消され、終始耐えられないくらいやかましい車内となる。運転の疲れとか眠さとの戦いではなく、息子の叫び声との戦いで、名古屋の家に着く頃にはぐったりしてしまう。
フロントガラスが虫の痕跡だらけになって帰宅すると、仕事のために一人で留守番をしていた夫が待っていて、マンションの四階の部屋まで荷物を運び上げてくれた。疲労困憊で私はすぐに寝室で横になったけど、気を張って運転していたせいか目が冴えていて眠れなかった。それでも目を閉じてしばらく休んで部屋を出ると、夫が晩御飯にピーマンの肉詰めを作ってくれていた。ありがたいご飯を噛みしめて、この日の夜は早めにベッドに入ることにした。

気がつくと小学三年生の娘があちこちに現れる、思い出がぽろぽろと出てくる家と今を行き来するのは少し不思議な気分になるけど、きっと今の生活もいつか懐かしくなるんだろう。暗い部屋でいつも寝ている布団に包まれながら、そんなことを考えた。